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城とは【4】騎士(ナイト)は何する人ぞ?

ドイツ騎士 中世・近世ファッション・ギャラリー

騎士(Knights)とは

よく「白馬に乗った王子様」という表現を使うが、困難に直面した中世のお姫様を救って喜ばせたのは、どこかのお城にいる王子様ではなく、「馬に乗って武者修行中の勇敢な騎士」のことだったのではないかと最近思う。
やがて王様になろうかという継承者第一位のプリンスが冒険しそうにないというか、それほど自由ではないというか…。自国以外のために命がけで戦うなど、めったになかったのではないだろうかと思うのだ。一番目以外の王子ならあり得るが。先日、ヨーロッパ人が日本の武将とヨーロッパの王との違いを言っていて、武将は戦いで実際に武器をふるったが、王は戦争に参加しないのが普通だったとしていた。王と武人とは違うということであろう。

そういうわけで、「白馬に乗った王子様の正体は冒険好きの騎士」と仮説する。いや、もともと「白馬に乗った騎士」だったっけか?

で、騎士とはどういう人がなるものなのだろうか? まずはその定義から入りたい。

騎士

「騎士」の説明は以下の通り。

何百年ものあいだ、騎士は最強の兵士であり、ヨーロッパでは最も名誉ある地位にいた人たちだった。中世と呼ばれる11世紀から16世紀の約500年間に、騎士たちは栄華をきわめた。中世の社会はピラミッドに似ていた。ひとりひとりの騎士は貴族につかえ、貴族はその騎士の兵役や忠誠を国王に提供することによって土地を得た。

やとわれて戦いに参加し、お金をもらうだけの騎士もなかにはいたが、ほとんどの騎士は領主である貴族から土地をもらい、その代わりに忠誠を約束し、戦いで活躍をした。貴族とちがって、騎士の地位は父から子へ受け継がれることはなかった。

フィリップ・ディクソン著『騎士と城』より

忠誠を尽くす相手のために戦闘のプロとして戦い、代わりに土地を得るという点は日本の武士と同様だ。大きな違いは世襲ではないということ。

中世のヒエラルキーでみる騎士の位置

カイザーブルク城

中世という封建社会にあって、領主とは一定の土地の租税徴収権を認められている人々のことを言う。領主間でも有力者と弱小な者との間に、土地を介して封建的主従関係が幾重にも存在していた。

中世社会のヒエラルキー(ピラミッド型の階級制度)の頂点は王で、王も直轄地に対しては領主である。
王はその下のバロンという階位の貴族にその子孫が受け継ぐことができる土地や特権を与えていた。その見返りにバロンは王に忠誠と兵士を約束した。この兵士の一部が騎士ということになる。ほかは歩兵や弓兵といった下級の兵士も当然必要だ。
さて、貴族であるバロンが騎士に土地を与え、騎士は見返りとしてバロンに忠誠を誓い、戦争の時には力を貸す約束だった。

たいてい立派なお城の主とは、バロンのことである。騎士は城の主に雇われて城に出入りしていた。お姫様が身分を超えて勇敢な騎士に恋をするのはよくわかる。やはり、白馬に乗った王子ではなく、馬に乗った騎士……で正解?

ちなみに、司教という宗教界の指導者たちはバロンであり、とりわけ修道院長と司教がバロンの中で最大有力者にして最も裕福だった。
教会はヨーロッパ最大の土地所有者であり、農民からも10分の1税を徴収したので、当時の一番のお金持ちが聖職者というのもうなずける。

バロンの長子は継承者で、次男以下から聖職者になる者、騎士になる者もいたと思われる。兄や叔父が戦争や病気など、さまざまな理由で死ぬようなことがあれば、席に空きが生じ、次の序列の者がバロンの継承者として繰り上がっていく。

再びヒエラルキーに話を戻して……騎士の下は農民、労働者、農奴など、農業で生計を立てる最下層の人々。ほとんどが騎士や貴族たちに所有されていたから、土地に縛られ、離れることができなかった。

騎士になる、とは

いかにも騎士という人たちは、どんなイメージだろうか。
まずは甲冑を着て馬に乗っていること。
騎士になるには、馬、鎧、召使などを自前で用意しないといけないため、かなり裕福な家の少年しかなれなかった。

騎士

騎士になるべき少年が7歳になると、小姓になるため、親元を離れて城に送り込まれた。城主は少年の父親の友人か叔父であることが多く、貴族の子弟や騎士の息子であることがほとんどだった。貴族には妾の子もいるし、長子ばかりではないのだから、某かの職業は必要であろう。

さて、若い小姓(ペイジ)は見習い奉公として使い走りの傍ら、城の礼拝堂付き司祭から歴史・地理・宗教・読み書きを少しといった基礎教育を受けた。少なくとも自分の名前が書けて将来家令がつけた帳簿を読めないといけない。また、食事の作法を教わり、城主の食卓に料理を運んだりもしたが、間違えたらぶたれたりする。
慣れると狩猟や遠征の同行もあり、鎧を運び、掃除や馬の世話、荷物の梱包などもした。

騎士とペイジ

14歳くらいになると、ある騎士のもとに弟子入りをして宗教的儀式を経て従者(エスクワイア)になる。甲冑について教わり、主人である先輩騎士について戦場に行くことも求められた。
戦いの練習では重い甲冑と武器を振るってトレーニングをし、5年から7年ほど訓練すると、やっと騎士になる準備が整う。

20歳前後で一人前の騎士と認められると、叙任式という儀式を経て騎士となる。
一晩中断食して祈り明し、領主の前に跪くと、領主は剣の平で従者の肩を叩いて騎士になったことを宣言するのが一般的。これは貴族の身分に昇格したことを表す。
たまに戦場で功績があると、その場で叙任されることもあった。

精神面では、戦場では潔く、主君と神に忠実で、弱き者を助け、女性には礼儀正しく……これが騎士道の基本だ。

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騎士のたしなみ「馬上槍試合」

ドイツ騎士
左は馬上槍試合の姿

馬に乗って戦う技術を磨くため、槍と盾を持って馬に乗った騎士がぶつかり合う馬上槍試合の練習もした。…

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