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【吉野山観桜ひとり旅】七曲り~奥千本まで足で登る

吉野の桜 関西

準備:奥千本まで完全歩きをするために

2021年コロナ禍、いつかやろうと狙っていた吉野山観桜ひとり旅、吉野泊で奥千本まで歩き切った話をしよう。

写真のキャプションにはそのときの時刻を入れた。歩きの目安として参考にしていただければ幸いである。

吉野で1泊2日のハイキング

最初に吉野での泊まりについて記す。というのは、近鉄吉野駅から奥千本まで歩きとなると、5時間以上かかると読んだ。確か全行程を歩くと2万歩と言われた。

宿を探してみた人はわかるだろう。
間近だろうが、前もってだろうが、吉野ひとり旅で宿を求めても、ほとんど願いはかなわないということを。なぜなら、宿側もかき入れ時に一部屋1人だけの宿泊料金よりも、複数人分得る方がいいに決まっているからっだ。実際に、一人部屋を提供しているところはほとんどないのが現状(2021年現在)だと聞いた。

私もネットでさんざん検索したが、てんでヒットしなかった。
ところが、偶然なのか何なのか、あるとき吉野館さんの予約が一人料金で取れたのだ。後で聞いたら、タイミングによるが、この宿は一人客にも部屋を提供するようになったという。何というラッキー。ただ、私の場合は出遅れてしまっていたので、奥千本満開の時期しか空いてなかった。

なんにせよ、私は念願の奥千本までの完全歩きド根性旅行をする決心ができた。泊まりが無理なら、途中まで乗物に乗って歩きもほどほどという日帰り計画に変更していただろう。

もし泊まりたいなら、ちょくちょく楽天などの宿泊サイトで検索し、ヒットさせるしかない。
下記から「吉野館」で検索するなどして探してほしい。

事前計画

宿泊が可能になって、私はおよそ5時間とされる下記の歩きを計画。

往路:近鉄吉野駅→七曲り→下千本→中千本→上千本→奥千本
復路:奥千本→上千本→宿
帰路(翌日):宿→吉水神社→吉野神宮→近鉄吉野神宮駅

吉野山開花状況サイトもあるので、ある程度は開花状況を予想しながら旅程を組めるはずだ。

例年は花冷えがあるので、1週間くらいはもつらしいのだが、2021年はいつもより早く開花し、花冷えもなく、3日くらいであっという間に散ったとか。これは誤算だった。

下図は、私が訪れた時の開花状態。いいところは散ってしまって、奥千本しか満開ではないとのこと。とすると、何が何でも吉野山のてっぺんまで行くしかない。

2021年

地元の方に、来年上千本の満開時に来るにはいつ来たらよいかアドヴァイスを求めた。
「4月の上旬でしょうかね。もう、吉野の桜も早めに咲くと思った方がいいです」

装備と持ち物

たとえ途中まで乗物に運んでもらうにしても、間違っても革靴で行ってはならない。

ブーツや革靴で来ている人もいたが、おそらく後悔したはずだ。

なぜなら、あそこは山なのである。はっきり言って、山登りのつもりで行くべき。
 
歩きで奥千本まで登ろうという人は、山歩きに適した履物が必要である。最低でもスニーカーで。

上千本までは舗装された道であるが、奥千本は違う。狭い土の山道を行く。滑りやすい場所だってある。
よって、奥千本に限っては、乳母車はもちろん通らないし、小さな子どもをハイキングコースに連れていくのは難しかろうと思われる。

バッグ

両手が空くように、リュックサックなどがよい。

服装

下界よりは寒さ対策ができるよう、脱ぎ着できる羽織ものがいる。帽子も。
ちなみに、私が行った日は最低気温1℃。真冬かよ! でも、これが2021年初の花冷えの日なのだ。くどいが、山なのである。

飲み物、食べ物

店が開いているし、割と整っているので、問題なく入手できる。
昼ご飯は柿の葉寿司が定番。現地で入手しよう。カフェもちらほらある。

その他

泊まりの場合、私は足腰がおかしくなることを想定して旅の後に貼る湿布を必ず持っていく。また、寒暖の差が激しいので葛根湯も。絆創膏。準備は怠りなく。

トイレも整備されているので、そこは安心できる。

全容把握のためのサイトを紹介する。店紹介からトイレの位置まで何でも記載している。

Google Map

近鉄吉野駅~七曲り:徒歩約20~35分

上記のMapにある終点の駅が「近鉄吉野駅」である。

吉野駅
吉野駅 10:30
下車してすぐのところに観光案内所があるので、係の方に相談するとよい。
ハイキングをしたい方もちょっと寄り道して、ハイキングコースを記した地図を入手しよう。
観光案内所 10:35

最短ルートもいいけど、ハイキングコースを歩く方がずっと吉野の良さがわかるんだよね。
山に来てるのに、アスファルトを歩くなんて風情が半減するもん。

ここから上の方に行くバスも駅前から出ているし、すぐのところにあるロープウェイの「千本口駅」から「吉野山駅」に行ってもよい。このロープウェイは七曲りを歩かずに済むというだけの乗物。だから、あまり歩きたくないという人は、ロープウェイではなく駅前のバスに乗って上に行くべきだ。

どういう行程を歩くのかということは、あらかじめ決めておくとスムーズ。

千本口駅
千本口駅 10:40

新緑がまぶしく、本当に来てよかったと思える景色が広がる。そして、鶯のさえずりが常に聞こえる。私を歓迎してくれてありがとう。

10:44

七曲りを歩く。くねくねの山道を七曲りというのだね。日本中にこんな名前の坂がある。
観光案内の方は「先日七曲りではなく、最短ルートを歩いたらエライしんどかったわ」とのこと。のんびり歩きをするなら、最短ルートは選ばないこと。たいていひどい急坂。

10:49

地元の方がいうには、6月の吉野は新緑真っ盛りで、一番オススメという。4月でも十分素晴らしい。

 
10:59

たとえ、このような葉桜まみれの状態だったとしても、ときたまみられる美しい桜色に感動する。

大橋。

大橋
大橋 11:02

大橋あたりは後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王(だいとうのみやもりよし(もりなが)しんのう)が鎌倉幕府討幕に向けて吉野山で挙兵した場所。吉野山を城として立て籠り、ここが激戦地であったのだ。
6万人の幕府軍に対し、3千人の兵で迎え撃ったというが、ここで殺し合いをしたなんて、信じられない。

落ち武者などの幽霊は見なかったよ。

黒門に到着。吉野駅から黒門までは徒歩20分が目安。
ここからの道は二股に分かれるまで、ずっと店が軒を連ねる。

黒門
黒門 11:06

目抜き通り:徒歩50分

黒門を抜けてから土産物屋や宿屋が増える。意外と栄えている。
私は一泊二食付きの宿泊にしたのだが、こういう地方は、どれだけ店があったとしても、朝晩の外食が読めない。間違えて食いっぱくれたくはないし、山菜シーズンの吉野だと宿の夕食で楽しめると踏んだ。

金峯山寺銅鳥居
金峯山寺銅鳥居(きんぷぜんじかねのとりい) 11:11

さて、昼ご飯を調達。
鳥居の隣にある、ひょうたろうさんの柿の葉すし。「つくった翌日が一番美味しい」という吉野の郷土料理の押し寿司なので、楽しみである。

ひょうたろう
ひょうたろう 11:13

吉水神社を超えたところに宿の吉野館さんがあって、そこに荷物を預ける。もう11時を超えていた。
そして、女将さんに奥千本に行くルートを教わる(赤ペン)。

地図
赤字:女将さんの教え。ピンクマーカ:実際のルート。緑:帰路

上図は実際のルートを示している。右の駅から左上の奥千本に向かう。赤は女将さんの教えであるが、ピンクマーカが実際の歩いたルート。中千本あたりのトンネルから下にズレて大回りしてハイキングコースを歩いて戻っているのがわかるだろうか。

如意輪寺 後醍醐天皇陵~ハイキングコース: 徒歩1時間半

中千本バス操車場があり、バスで奥千本口まで行けるのだが、もちろん私はバスに乗らない。

「そこは桜が咲いているらしいで」との交通整理のおじさんに聞いたので、ついフラフラとバス操車場の左にトンネルを抜け、如意輪寺に行ってしまう。

参陵トンネル
参陵トンネル 11:55

ここから無意識に歩いて、ついに如意輪寺に到着。

12:10

ただ、これが良い誤算であった。後醍醐天皇のお墓があるお寺が如意輪寺なのだが、そこも行ってみたいなと思っていたので。如意輪寺は中千本の真っただ中にあるお寺である。

如意輪寺
如意輪寺 12:12
後醍醐天皇陵
後醍醐天皇陵 12:18

ところで、皆さん、後醍醐天皇、南北朝、鎌倉幕府討幕と言われて、スパッと理解できるだろうか? 吉野は後醍醐天皇が朝廷を建てた南朝宮があった歴史的な場所であるのだが、京に戻るんだと祈念していたものの、叶わないままに吉野で崩御している。

そして、時代は変わるが、源義経が兄頼朝に追われて、熊野方面に落ち延びるとき、連れていた静御前と今生の別れをした場所が吉野である。

これらの歴史話は別のページを立てて話している。

さて、ここでようやく自分が遠回りしていることを知る。
地元の方にハイキングコースで元のルートに合流するようアドヴァイスを受けた。

12:34
12:37

宿から2時間くらいで奥千本に着けるはずであったが、大きくそれてしまい、1時間以上もロスをしてしまうことになる。
でも、ハイキングコースにはこんな美しい桜があって、道もアスファルトではなく、土と新緑の道なので、満足している。

12:45

ハイキングコースに木の切り株があって、そこに腰掛けて柿の葉に包まれた押し寿司「柿の葉すし」をいただくことにする。かつては熊野灘でとれたサバを塩づけにして…というご馳走であったそうな。最近は熊野灘に限定したものではなさそうだが。

12:48

疲れた体に程よい塩気とサバの脂の乗り。塩サバの押し寿司をお弁当にして、山のなかで頬張るなんて、贅沢だなぁ。酢飯もいい感じ。あえて半分残して、翌日の味を楽しむことにした。

 
12:42

アスファルトよりも、こうしたハイキングコースのほうが自然を満喫できて、オススメである。

遠回りしてハイキングコースを抜けた。思わぬ寄り道だけで1時間半くらいかかっている。

上千本~吉野水分神社:徒歩約40分

ところで、歩くなら、右側のバス道(町道)ではなく、左側を歩くこと。ルートは2つあり、そちらは観桜に適さない。

いよいよ上千本で有名な景色まで来た。

12:31

見ての通り、色が違う。うっすらピンクなので、葉桜は残っているし、風情は感じられた。
登って行って、そこに行ける。

上千本の上からの眺め。

13:41
13:42

もし上千本が満開であれば、どれほど圧巻であったことか。この段階で、来年の計画を心ひそかに立てる。このまま終わるには悔しいではないか。

13:51

さて、上千本のハイライト、吉野水分神社に着くと、桜吹雪が舞っていた。水分と書いて「みくまり」と読む。水を司る天之水分(あめのみくまり)大神を主神としている神社である。

吉野水分神社
吉野水分神社 13:57

社殿は豊富(臣)秀頼が再建しており、全体的に桃山建築という。

吉野水分神社
吉野水分神社の枝垂桜 13:57

牛頭園地~金峰神社:徒歩約20分

数年後を見越して桜の植樹を積極的にやっている。14:03

この辺りは、もうすぐ奥千本というところ。桜がいかにもな山桜に変わる。これは気候が寒くなり、下界の桜とは全く違うのがおわかりだろうか?私は北海道の人間だが、札幌などでは桜といえば山桜であり、北海道で桜はあまり人気ない。

いかにもな山桜って美しさでは劣るよね。花と葉っぱが同居する。だから、華やかさに欠けるし、ボリュームもない。

寒いところは、そうなるよね。

吉野山の桜について、一部抜粋する。

吉野山には古来桜が多く、シロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集しています。
儚げで可憐な山桜が尾根から尾根へ、谷から谷へと山全体を埋め尽くしてゆきます。

シロヤマザクラは下・中・上・奥の4箇所に密集しており、”一目に千本見える豪華さ”という意味で「一目千本」とも言われます。

External Links>>吉野山観光協会

つまり、ソメイヨシノではないということだね。

吉野なのにねぇ。

さて、牛頭園地までくると、疲労がふくらはぎに来ている…。実際、どうしようかという状況であり、一瞬もう登るのを諦めようかとすら思ったほど、疲労困憊であった。

14:08

奥千本★金峰神社~西行庵:片道徒歩約30分

金峰神社の鳥居まで来た。奥千本である!
奥千本口バス停があり、ここまでならバスで来れる。ここから先は歩きしかなく、鳥居をくぐって山を登っていくのみ。

修行門
修行門 14:20

歩いて行くと、義経が隠れていたという義経隠れ塔があった。
こんな山の中まで来ていたのだ。もうすぐ女人結界の地があるので、山中を山伏の恰好をして抜けていこうという場所。そうでもしなければ、包囲を突破できない。

義経隠れ塔
義経隠れ塔 14:32
義経隠れ塔
義経隠れ塔 14:32

この時間になると、曇ってきた。
ここが奥千本。山桜が満開である。いかにもな山桜であることがおわかりだろうか?

14:50

そして、この山道。見た目よりも急である。

14:51

西行庵。
隠遁が好きな西行は、こんなところで仙人のような暮らしをしていたのかな。

西行庵
西行庵 14:54
西行の歌
西行の歌 14:53

義経のように、身を隠すならわかるが、好き好んでこんな山の上に…相当オカシイ男とみた。

後世、「実は忍者だったのではないか?」と噂される松尾芭蕉が西行にあこがれて、この地に来て、歌を詠んでいる。松尾芭蕉は吉野が好きで何度か訪れているのだ。

さて、もう奥千本でのハイライトも見終わった。
ここからまた30分かけて戻ると…。往復1時間?

15:01
15:04

無念。バスに乗って下山

奥千本口バス停に戻ると、もう無理だと感じてバスに乗った。バスで中千本バス停まで一気に下山した。無理しすぎても、旅が楽しくなくなるからね。

この段階で15:42分。やはりバスを一部使っても、5時間かかっている。

最期に白状すると、普通の人は登りをバスなどの乗り物で行き、徒歩でのんびり下りてくるというのが普通だ。実際、私のように歩いて奥千本に向かう人はあまりいなかった。
私は普通の逆を行ったというわけだ。

吉野の桜

吉野の桜のほとんどが山桜。それなのに、どうしてこんなにもきれいなのだろう。

山桜はあまり美しくないから人気ないものと思い込んで生きてきた。繰り返しになるが、ここの桜は知名度最高のソメイヨシノではなく、”古来桜”のシロヤマザクラを中心に密集している。

日本一の桜で謳われる吉野の桜のほとんどが、まさしく山を埋め尽くす山の桜とは意外だった。
単体ではなく集合体で他を圧倒する、日本の心のような存在。

私が鶯なら、一生吉野を離れない。

さて、今回は登りをメインに記した。歴史話は下記に譲る。
そして、翌年はリベンジした。こちらはフォトギャラリーメイン。

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