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【オーストリア】ホーエンザルツブルク城

ホーエンザルツブルク城 オーストリア

ザルツブルクは領主司教領

ドイツのお隣オーストリア西部にあるザルツブルクの城を紹介したい。「ホーエンザルツブルク城」という山城があるのをご存じだろうか?

ホーエンザルツブルク城

現在ではケーブルカーに乗って登るような急斜面の上にあり、敵も包囲したところで落城には至らないと思うほどの不便な場所にある。城というよりかは山の上の城塞としての役割が色濃く、数々の反乱や包囲に備えて強化され続けた。長年に渡ってザルツブルク司教たちは堅牢な城壁を増築し、いざというときにはここに立て籠って敵から身を守っており、ザルツブルクの街が焼き討ちに遭っても城に火災を寄せ付けなかったほどだ。

実際に19世紀神聖ローマ帝国が消滅したときまで、陥落したことがなく、難攻不落の城としても有名であった。

Nonnberg and Hohensalzburg Castle(1819)

Nonnberg and Hohensalzburg Castle(1819)

領主司教領とは

ザルツブルクは13~16世紀に繁栄した「領主司教領(りょうしゅしきょうりょう)」である。15世紀末には帝国自由都市とほぼ同様の権利を獲得したという、特殊な教会都市国家。都市というとわかりにくいが、カトリック教会のエライさんがトップとして君臨する独立した国であったのだ。

何しろ、昔からローマと北欧、東西のヨーロッパを結ぶ交通の要衝であったから、かなり恵まれた国といえる。丘の上にそびえる城を見ながら、数え切れぬほどの旅人たちが行き交ったことだろう。

View from Mülln onto Salzburg(1815)

View from Mülln onto Salzburg(1815)

ホーエンザルツブルク城は中世ヨーロッパの城塞としては最大級であり、ザルツブルク大司教の住まいと防衛機能を備えた砦として機能していた。

「ん? ザルツブルク大司教の住まい? 城だから王様じゃないの?」と思うかもしれない。実は、ここの城主は王様ではなく、領主司教であった。

司教=カトリックの地位の高い聖職者が、神聖ローマ帝国が崩壊するまで代々支配しており、このザルツブルクという街を築いてきた。領主司教という地位は、「聖界諸侯」なので世襲ではない。

その領主司教たちはザルツブルク近郊のデュルンベルク岩塩坑で採れる塩の権利を所有し、その税を徴収することで財を得ていた。「ザルツブルク」のザルツ=塩、ブルク=砦の意味。中世、岩塩は「白い黄金」と呼ばれていた。ザルツブルクの繁栄を支えたのは塩であり、その塩を運んだのはど真ん中に流れるザルツァッハ川だったのである。

塩(ザルツブルク)

ザルツブルク近郊の塩

彼らの素行について。

ときのリーダーたちは司教といっても、そもそも貴族出身であるから、やはり貴族らしい振る舞いをしている。愛人を囲うため宮殿を建造したり、数々の教会や宮殿を建造して小さなローマを造ろうとしたりなど、およそ清く正しい宗教者とは程遠い俗にまみれた領主司教様がほとんどであったようだ。

中には、噂であるが……ローマの聖ペテロ大聖堂をザルツブルクに建てる計画をし、立ち退きでモメていた周辺の家を大司教自ら放火したというから、やりたい放題、何でもありの権力を握っていたに違いない。

自由に使えるお金があったおかげで、街の改造計画も遂行しやすく、チロルの小ローマと呼ばれるほどの瀟洒な街並みをつくった。ザルツブルクは1000年以上に渡り司教に牛耳られた教会都市であるのだ。

城の展示物

この城の最大の素晴らしい点は、眺めが最高ということかもしれない。ザルツァッハ川や緑の玉ねぎの美しさといったら。ここまで登った甲斐があったというもの。

ホーエンザルツブルク城

さて、城の中には展示物がいくつかあり、抜粋して載せようと思う。お決まりの甲冑というのもあったが、この城にはあまり似合わない。なぜなら、この要塞のような城は真剣に戦わずに立て籠っているいるだけで身を守れるのであるから。

ホーエンザルツブルク城

意外と面白かったのは兵士の移り変わりの人形や服装を見れたことだ。

銃兵(1682)

銃兵(1682)

Grenadler (1710)擲弾兵

Grenadler (1710)擲弾兵

ホーエンザルツブルク城

レジデンツ前の広場で整列

こちらは神聖ローマ帝国崩壊後。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と帝国紋章「双頭の鷲」。

フランツ・ヨーゼフ1世(1830)
シシィの夫

神聖ローマ帝国紋章

オーストリア帝国紋章 双頭の鷲

ちなみに、双頭の鷲モティーフは神聖ローマ帝国をはじめとする国々の紋章としてよく採用されてきた。神聖ローマ帝国崩壊後のオーストリア帝国では、引き続き使用され、写真のようにデザインされている。王冠はもちろん、帝国宝珠(右側)という十字架が上に付いた球体を持っているのは、引き続き世界(球体)に対するキリスト(十字架)の支配権を象徴する地上の統治者を表現している。

ガスマスク

ガスマスク

1915-1916

1915-1916

どちらの世界大戦だろう。冬の装備

軍服ばかりだったが、なかなか面白かった。
きらびやかな絵などは、下界にあるレジデンツでたっぷり鑑賞できる。

>>中世・近世ヨーロッパの衣装【3】ザルツブルク

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