はじめに

「あいちトリエンナーレ2019」で昭和天皇の御影をバーナーで焼き、足で踏みつける”作品”が公開されて大炎上し、それらに公費を投入するか否かについてネットを中心に論じられた。そのとき「あれらは芸術をかたった反日プロパガンダだ」という言葉をよく見かけるようになって、「プロパガンダ」という言葉と概念が一般化してきたことに深く考えさせられた。
このブログを通じ、皆さんがプロパガンダに遭遇したとき、それは誰が、何のために、何を意図して喧伝しているのかを想像するきっかけになれば幸いである。

プロパガンダ(宣伝)とは

大学時代に西洋史を専攻した私は、卒論のテーマに「プロパガンダ:propaganda」を選んだ。

「プロパガンダ」とは、平たく言うと「宣伝」のことで、Wikipediaでは「特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った、宣伝行為」であり、「あらゆる宣伝や広告、広報活動、政治活動はプロパガンダに含まれ」ていると説明している。
いろんな人が定義をしているが、おおよそそんな表現だ。もっと酷い表現でズバリ言うなら「大衆操作」こそピッタリかもしれない。

宣伝や広告、広報活動ならば、誰でも目にしたり体験しているから無関係ではないはずだ。

ある人は企業の美味しそうな食品の広告を思い浮かべるだろうし、戦争経験者ならば太平洋戦争中の大本営発表や治安維持法によって情報を徹底操作して、「日本は連戦連勝」「欲しがりません、勝つまでは」と信じさせられていた苦い歴史が頭をよぎるだろう。はたまた、北朝鮮の金体制を礼賛する国営ニュースをイメージする人もいるかもしれない。

米国では大統領はもちろんのこと、政治家はまずスピーチができねば話にならないのはご想像通り。
彼らはプロパガンダの有効な手法をその筋のプロから学び、どうやって聴衆を話術で引きつけ多くの支持を得るか、真剣に取り組む。
ちなみに、人間、1度の話で3つ以上の事柄を覚えられないことくらいわかっているから、的を絞らずに「あれもこれも」というスピーチをするようなヘタクソは上位レベルでは皆無と思う。

ともかく、企業であれ、政治であれ、宗教であれ、なにがしかの意図をもって聴衆の心に響くアピールをし、狙いの行動を促すあらゆる努力のことを指しているのだが、「プロパガンダ」というと政治的意味合いが強くなるから日本では「広報」などやわらかな表現に差し替えていることが多い。

プロパガンダを学ぶと常に気になるヒトラーの存在

ヒトラー

で、プロパガンダを学んでいると、テーマの範囲がドイツでもナチスでもないのに、プロパガンダに長けた人物の代表格として必ず名が挙がるのが、かのヒトラーであった。
あそこまで一般人を熱狂させ、極端な排外主義すら「素晴らしいこと」だと思わせたわけだから、“大衆を酔わす達人”である。プロパガンダの行きつく先がホロコースト*だったということも、彼の名を永遠にした理由だろう。

*ホロコースト:第二次世界大戦中のナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺

さて、私の大学卒業論文のテーマは第二次世界大戦の“前夜”ともいえる「帝国主義時代のプロパガンダ」である。西洋史の定義では、帝国主義時代は1870年から第一次世界大戦終了の1918年までをいう。欧州列強がアジアを喰い散らかすように武力行使をして我が物とし、他国を侵略することを是とした時代である。

19世紀に入ると、西欧先進国では他国と戦争したり侵略したりするにも、大衆の了解を得なければならなくなった。それまでは王様や貴族が鶴の一声で戦争することができたが、このころになると労働者階級にまで参政権が拡大したから、為政者たちは彼らのご機嫌をとらねば選挙に勝って国を動かす政治家になることすらできない。

“ご機嫌とり”というと…たとえば、「他国を侵略したら、国が豊かになって国民が幸せになる」とか、「怠惰な未開の野蛮人(アフリカ、インド、アジアの人々など)を管理監督(支配)してやるのが我ら優秀な白人の義務なのだ」と訴えたりして民族的な優越感を自国民に植え付けようとした。
帝国主義時代のプロパガンダとは、大衆心理を意識しつつ政治を行う、初めての時代と言えるのかもしれない。帝国主義時代の話は、いずれ詳しく書こうと思う。

大衆を相手にするには、大々的でわかりやすいプロパガンダを組織的かつ効果的に行う必要があった。
「為政者はどうやって大衆を操作したのだろう」「当時の大衆は何を思っていたのだろう」「プロパガンダが有効でいられたのは、どういうときだったのだろう」
…私はそんなことを思いながら卒論を書き、いつもチラリとよぎるヒトラーの存在感を心の隅に追いやっていた。

手塚治虫の漫画『アドルフに告ぐ』は、アドルフ・ヒトラーをはじめとする3人のアドルフを中心にあの時代を描いた傑作である。
日本の太平洋戦争時代も出てくるし、この時代を理解する一助となるだろう。

人がプロパガンダに飲み込まれる

ナチスドイツの酷い行いを卒論のテーマに選んだ学生がいた。
卒論の中間発表で、節目節目に「許せないと思いました」を連発。彼女の結論は「ナチス、許せない」である。
それは…その通りであろう。そんなことはわかっている、誰でも。しかし、卒論は論文である。己の感情を結論にしていいわけがない。

当時の指導教官(先生)は、常々「歴史は、科学でなければならぬ」と言った。「なぜそれが起こったのか? それを証拠立てて論じていくべきもの。ナニがありました、それだけではいけない。自説を述べなければならないのだ」と。

中間発表の前に、その先生は学生にこう言って、ヒントも与えていた。
「ドイツ人にとって、“なぜドイツでナチスやヒトラーが生まれたのか? あるいはアレを許したのか?”、“なぜ国を挙げてユダヤ人大虐殺があったのか?”という疑問は今も結論が出ていない、一大テーマなのだ」と。
ドイツ人たちは、ナチスのプロパガンダを「その通りだ」と肯定して選挙でナチスに票を投じた。狂気への道を見ていたにもかかわらず、ナチスの一党独裁を許している。ほかに選択肢があったのに、である。

「どうして私たちはナチスを支持してしまったんでしょう」「どうしてホロコーストの片棒を担いだんでしょう」
あのときは、それがいいのだと思って、彼らはその道を進んだのだろう。

許せる、許せないとか、善悪だけで物事が片付けられたら、どんなに楽であろうか。
だが、人類はいつも「なぜあんなことをしたのだ?」と生きている限り理由と反省を促される。

プロパガンダに飲み込まれた人々は、たくさんいる。

米国大統領選挙でふとヒトラーのプロパガンダを思い出した

2016年、次期大統領のあの方が選挙活動中に「メキシコとの国境に壁を築く!」などという過激な発言を繰り返し、ついに大統領選に勝った話をニュースで見て、「アメリカ人の気は確かか?」と心底驚いた。
が、その直後に「あぁ、プロパガンダで勝利しただけなのだ」と気づいたら、ふとヒトラーのプロパガンダを思い出した。

もちろん、時代が違うので、独裁は不可能だし、ホロコーストが再び起こるなどとも思っていない。あくまでも過激発言と排外主義を前面に押し出したプロパガンダの種類という類似性を感じたまでである。

「壁を築く」と聞いて、本当に壁が立ちはだかるイメージがありありと思い浮かんだ人は多かったに違いない。
一方、常識的で理に適った才媛の演説では、パンチが足りなかった、絵が浮かばなかったのでは?
…とすれば、リアルに思い描かせることができたトランプ氏に軍配が上がったにすぎないことになる。

プロパガンダは簡単でわかりやすくないといけない。
とくに虐げられて、社会や時代に怒っている学のない人々には。
彼らは小難しい新聞なんかよりも、SNSでワンポイント情報を受けるほうが性に合っていたわけだ。一緒に怒ってほしいのだ。

壁が実現できる、できないの問題ではない。ただ、わかりやすかったということ。
そして、それを信じた層は低学歴・低収入の白人で、不法移民に仕事を奪われて被害者意識で爆発寸前となれば、なおさらうっぷんを晴らしてくれそうな人に票を投じた可能性は高い。

ヒトラー式の過激発言連発で、怒っているプアホワイトを巻き込み、選挙戦を制したなんていう時代を目撃することになるとは… プロパガンダの威力を見せつけられた出来事として、私は心に刻んだ。

こうした差別発言&過激発言の主が権力を握り、アメリカンドリームに置いてけぼりにされた人々の共感を引き出すようにして自らの地位を築く。
「あなた方が悪いんじゃない。○○がいけないんだ!」と他者攻撃と排外主義に酔わせながら…

やはり、これはいつぞやのドイツにそっくりだ。
第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、お隣のフランスなどから徹底的にイジメ抜かれていた。巨額の賠償金を命じられ、さらにはハイパーインフレーションのために、食うに事欠く国民がほとんどであったあの頃に。

絶望感と貧困は、プロパガンダに驚くほど弱いのだ。

次期大統領に選ばれたのが確定してから、初めて心底ビビッたことだろう。
「まさか、この自分が大統領に選ばれるなんて…どうせ選ばれやしないと、威勢よくしゃべったら勝っちゃった」と。

経済がV字回復しないとプロパガンダは成功しない

トランプ氏が大統領就任以来やっきになっていることがおそらくコレだろう。

ちょっと前の時代までは、領土拡大に絡む他国侵攻で解決しようと多くの為政者が企んだ。失業率を著しく減らさぬことには、結局誰も信用してくれない。信用してくれねば、国家元首をクビになる。国民の目をそらすために、皆仮想敵国をつくって、手っ取り早そうな侵略を選んだりするが、経済回復に至るのは実に難しい。

だが、経済をV字回復して、爆発的に人気を博し、独裁体制に入った凄い先例がある。
ヒトラーだ。
BSNHKで「独裁者ヒトラー 演説の魔力」という興味深い番組があったので、その内容の一端を用いつつ、彼の類まれなプロパガンダ能力を見ていきたい。

番組では、ヒトラーの演説にドイツ人が熱狂していく様子を映像として紹介したり、いかに心酔していたかを現代まで生き残った人々が生き生きと語っていた。あるかつての心酔者は、「ヒトラーは今でいうポップスターだった。マイケル・ジャクソンのような」と表現し、皆ラジオで総統の「お話」を必ず聞いていたし、ブロマイドや著書を蒐集することも普通であったというのだ。
当初ラジオが高級品で一部の人しか所有していなかったのを、ヒトラーが低価格で量産するよう命じて、多くの人々がラジオを手に入れたというのもさすがである。

彼の人気ぶりを見たいなら、下記を参照のこと。

>>帝都ニュルンベルク【3】ナチスドイツのプロパガンダ拠点

ヒトラーの演説を研究する学者によると、使用した言葉を解析した結果、彼が時代とともに使用する言葉を変えていたことがわかった。以下、1930年代の特徴を時系列にまとめる。一部、ほかの資料を用いて説明する。

ドイツは第一次世界大戦に敗れ、1929年世界恐慌で食うに事欠いたという話は先にした通り。そこで演説の名手ヒトラーが彗星のごとく登場。当初は「ユダヤ」という言葉を頻繁に出していたが…

  • 1930年ころから「ユダヤ」を「敵」という言葉に変えて、あからさまにしなくなった。
  • 1932~1933年のナチ党選挙キャンペーンで、ヒトラーは当時500万とも600万人以上ともいわれていた失業者の救済のため、国民に職とパンを与えることを約束し、33年に首相に選任される。
  • 全長7,000 kmにおよぶ「帝国アウトバーン」計画が実行される。日本でいう高速道路のことだが、工事はあえて機械ではなく、失業者を多く雇用するために人力を多用した。また、ドイツ男子に兵役義務が課されたことで仕事を保証したことにもなった。その他さまざまな労働および財政政策により、失業者数は半減したとか、1939年には35万人に減少したともある。ドイツ国民がヒトラーに感謝し、当初懐疑的であった人も信じるようになる。
  • 1935年、話は元に戻って、演説で使用する言葉が変わる。再び「ユダヤ」を高頻度で使用し、このころからユダヤ人排斥へシフト。あからさまに実行に移されたことで、人々は驚いたが、流れが変わることはなかった。
  • 1935~36年、「平和」という言葉を連呼しながら軍備拡張を進め、現実を覆い隠した。
  • 1939年、ヒトラーはポーランドに関し「平和的に解決をしようと努力したが、ポーランドが攻撃を仕掛けてきた」とでっちあげ、侵攻。大勝利をおさめて国民が熱狂した。第一次世界大戦の敗戦という屈辱をやっと払拭したのだ。
  • 1941年独ソ不可侵条約を破棄して、ソ連侵攻。ユダヤ人とともに共産主義を敵視していたヒトラーは、ポーランド人以上にロシア(スラブ)人は「価値が低い」と喧伝し、ドイツ人の生存圏を拡張することと、ソ連共産主義を絶滅させる必要性を説いた。

 ヒトラー研究者は、「1939年にかけて(これら一連の動きは)、戦争への準備だった」と表現した。

つまり、ヒトラーは最初からユダヤ人を排斥したり、戦争したわけではない。まずは人心掌握 から入り、経済の回復を実現して地位を確固たるものにしたうえで、本性を現したのだ。彼が何のために血道を上げたかはここでは語らないが、「平和」のためではないことは確かである。

何というプロパガンダ能力であろうか。すべてが悪ではないところが人々を煙にまくコツとでも言おうか。

番組でインタビュアーは、ユダヤ人が連行されていったとき、「なぜ誰も声を上げなかったのか」と質問をした。ある婦人は言い淀んだあと「今だからそれが言えるのです。…たぶん恐れからでしょう」と言った。

恐れは関係ないかもしれない。
ひとたびプロパガンダに飲み込まれたら、自分に害がない限り、気づきにくいものだ。気づきたくないというべきか。
ナチスを選んだ人たちは、その後、長い長い反省の人生を歩んでいる。

 

>>プロパガンダ【2】トランプ氏は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の悪役ビフのモデルだった! 

>>帝都ニュルンベルク【3】ナチスドイツのプロパガンダ拠点