初期ゴシック建築の最高傑作
ノートルダム大聖堂は、ノートルダム寺院とも呼ばれ、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂だ。「ノートルダム」とはフランス語で「我らが貴婦人」、つまり聖母マリアのこと。
パリの中心であり、パリの歴史発祥の地として、この地を見つめてきた特別な場所。
世界遺産であること、パリ発祥の地シテ島の歴史建造物であること、また文豪ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』の舞台にもなったことで有名なので、パリ観光の筆頭に挙げられる。
歴史の舞台として、また小説や曲の舞台としてその名がたびたび登場する場所。パリのど真ん中には、人々をインスパイアする何かがきっとあるのだろう。
もちろん、建造物としての魅力も言い添えたい。
初期ゴシック建築の最高傑作ともいわれていて、ファサード(建築物の正面デザイン)は一見の価値あり。中央の門には、聖母マリア、最後の審判などが装飾されており、その素晴らしさは約200年の年月をかけて聖母マリアを称えるために建てられただけのことはある。
12世紀ごろのフランス語圏において、聖母崇拝が盛んになった時代に各地に多く献堂されたのがノートルダムであるが、中でも有名なのがこのノートルダム・ド・パリなのだという。
中に入ると、思わず上を見上げてしまうほどの高さ。33mほどもあり、中世の森をイメージした内装になっているとか。
フランス救国の勇者ジャンヌ・ダルクの像。ランスのノートルダム大聖堂とジャンヌの関わりが深いので、こちらにも彼女の像が置かれているのかもしれない。
ナポレオンの戴冠式が行われた場所
1804年12月2日、帝政を宣言したナポレオンの戴冠式が行われたのもここだった。9000人をも収容できる規模というから、そういうイベントでも大いに活用されたことだろう。
今から210年ほど前のことだ。
2004年は、その200周年ということで、つい最近フランスでもナポレオン熱が再燃したという。
実際の戴冠式だが、招待客は2万人、所要時間5時間。
収容9000人では? 2万人を招待して、入るわけがないが…。どうしたのだろうか。
それはいいとして、ローマ教皇ピウス7世がナポレオンに聖油をかける聖別式に始まり、ナポレオンが教皇に背を向けて自ら月桂樹の冠を載き、ジョゼフィーヌにも冠を被せた。その後、国民の前で宣誓し、皇帝ナポレオンの誕生を印象づけて大聖堂での儀式は終了。
よく注目されるのは、呼びつけられた教皇ではなく、全能の権力者たらんとするナポレオンが自らの戴冠をし、ジョゼフィーヌにも冠を被せたということ。
ナポレオン1世の首席画家ダヴィッドの名作『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』の絵画がイメージとして浮かぶ。ルーヴル美術館収蔵の、大変有名なあの絵だ。高校時代の図表からひっぱり出してみた。
絵の右端に教皇らしき人がいる。「俺、精油かけるだけ?」とふてくされながらつぶやいたかどうかは知らない…。半ば強制的に連れてこられたようだから、憮然としていたとしても不思議はない。
翌年ナポレオンはダヴィッドにこのときの絵の発注をする。「私がどんな絵をほしがっているか、わかっているだろうね、キミ」と。絵画は為政者のプロパガンダ(宣伝)の道具として、間違いないものだ。
ダヴィッドは3年の歳月をかけて絵を完成させた。実際よりも劇的に描いたことで、ナポレオンは喜んだとか。
皇帝ナポレオンが、ヨーロッパの最高権威であるはずの教皇に背を向け、妻ジョゼフィーヌに戴冠することで、画家は絵の中の主人公が誰であるかを明確にしたからだ。そして、少し老いているはずのジョゼフィーヌを若々しく描いた。モデルはダヴィッドの娘とされる。
発表早々サロンでも絵は話題になった。ルーヴル美術館でも最大級の大きさであるから、当時としても相当な迫力だったに違いない。
が、1809年ナポレオンはジョゼフィーヌと離婚し、オーストリア=ハプスブルク家の皇女マリー=ルイーズと再婚する。
絵はほんの半年ほど一般人に披露されただけで、人目をはばかるようにお蔵入りとなる。
後世、このルーヴルにある絵が皇帝となったナポレオンのイメージを永遠にしたのかもしれない。
いくら「あっという間に失脚した」「離婚した」「あれは脚色だった。本当はこうだった」と言ってみたところで、視覚的なイメージが刷り込まれれば、なかなか消えるものではない。
世界遺産としてのノートルダム大聖堂
ノートルダム大聖堂は「パリのセーヌ河岸」というくくりで周辺の文化遺産とともに世界遺産に登録されていることでも有名。
パリの起点ポワン・ゼロ・デ・ルート・ド・フランス
実は、ノートルダム大聖堂の真ん前がパリから各都市への距離を表す際の起点になっているのをご存じだろうか。
ノートルダム大聖堂の西側、目の前にある場所は、ポワン・ゼロ・デ・ルート・ド・フランス “Point Zéro des Routes de France”といって、文字通りそこをゼロ地点として、パリから各都市への距離を測る起点になっている。
マンホールのようなものがあり、その文字が刻まれているので、探してみるといいだろう。
私が訪れたときも、確かに下を見ている幾人かを見かけたが、当時は「なんでみんなして下を見ているの?」と、さして気にも留めなかったことが悔やまれる。
ノートルダム大聖堂は知れば知るほど、面白い場所だ。
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2019年4月15日ノートルダム大聖堂の尖塔が焼け落ちた
悲劇が起きた。
15日夕、ノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生し、尖塔が焼け落ちるシーンが世界中の人々にショックを与えた。だが、大聖堂を象徴する南北の塔は崩落を免れ、イエス・キリストが処刑されるときに身につけていたとされる聖遺物「いばらの冠」や、カペー朝の王が身に付けていたとされる上着などの貴重な所蔵品の一部は、消防士らに運び出されて無事だったとか。
マクロン仏大統領は「再建」を約束している。あの素晴らしい寺院を復活させてほしいと心から祈念する。