戦いに疲れ果てた男たちの安住の地
当時のサヴォワの領主は、1つのところに住み続けるという習慣はなかったようだ。広い領地の拠点を転々と、そのたびに大行列で引っ越しする…そんな生活であったという。税を取り立て、管理していくことを考えると、移り住んで、地域を立て直して、また次へ…という流れが妥当であったのかもしれない。
また、中世の貴族の男たちは、戦いに次ぐ戦いを繰り広げていた。地域の戦闘にとどまらず、ピエール2世のように遠くイングランドに従軍する者もいた。
考えてみればそうだろう。婚姻関係はイングランド、プロバンス、ベルン、シチリア、ウィーンなど、かなり広い範囲で取り交わされている。となれば、戦へ赴く範囲もそれと同じような感覚であったはずだ。
当時の戦争に関する記述の中に、「春から秋にかけてしか行わない、気楽なものだった」というのを読んだことがあるのだが、本当かどうか定かではない。
こうしてみると、実に落ち着きのない貴族の暮らしが垣間見える。
シヨン城を大きく建て直したピエールは同族の友エモン伯が「戦いで傷ついた私が一人になれて、静かに余生を送れる場所を探してくれたまえ」と訴えた時、「気兼ねなく行ってくれたまえ」とシヨン城での暮らしを提供している。
そして、ピエールが、病の床について余生を送ったのも、やはりシヨン城だった。
シヨン城での暮らしは、戦いに疲れた男たちを癒した。フランスからローマへの巡礼者たちを眺め、湖とアルプスの前衛山脈を愛でながら、安全な場所で残りの人生を送ったのだった。
貴族の生活の場と牢獄
すべてではないが、以下、一部写真とキャプションで紹介する。
また、シヨンの囚人ボニヴァールについては「シヨン城【1】」を参照されたい。
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参考:冊子『シヨン城への歩み』シヨン城協会
>> シヨン城【1】 Le château de Chillon と芸術家たち
以下に城について詳しく書いている。興味のある方はどうぞ。
>>城とは【1】奪い奪われる”切り取り強盗”が隣り合う時代の象徴的建造物
>>Traveloopでの記事も城ネタが多くなった。ページの最後にある「投稿タグ」横の「城」をクリックすると、城関連の記事およそ20件が出る。